東大寺
743年(天平15年)行幸地の柴香楽宮に居られた聖武天皇の夢枕に、東山から紫衣を着た僧が立ち「金銅十六丈の盧舎那仏を造れ」と告げ、びっくりした天皇は、天竺震旦にもこれほどの大仏は無い、ましてや日本は小国であると危惧したが、冥衆のお告げならばと奮い立ち、早速皇祖「天照大神」に祈願のため、76歳の行基さんを伊勢神宮に勅使として遣わして、大神宮に釈迦如来の舎利を供えると、天照大神は大層感心され「垂迹神(すいじゃくしん)を遣わして、願いを遂げてやる」と告げられました。そこで、天平15年10月15日菩薩大願の詔「国銅を尽くして像を鎔、大山を削り以て堂を構え、広く法界に及ぼして朕が知識となす」が発せられ、翌年11月山城国相楽郡恭仁宮の離宮、近江国甲賀郡紫賀楽村で佛體の骨柱が建てられたが、度々山火事が起こり、地震も多く、天平17年8月都が平城京に復帰せられて、現在の山金里を好地とし、鋳像の大業に掛かり、天平19年9月から3年間に8度改鋳(鋳継ぎ出し)を経て、747年(天平21年)10月24日鋳像完成。その際それまで、日本に無いと思われていた金が出土し、その瑞祥により、749年、年号を天平感宝元年と改めて、752年(天平勝宝4年)4月9日晴れて大仏さんの開眼法要が無事行われました。
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